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一日一日の記録として。

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今日は、父母の自宅で餅つきをしました。
もちつき1


春に摘んだモグサを入れてお餅をつきました。


もぐさもち


甥っ子も挑戦しまた。小さな杵(きね)は、父が子ども用に昨年作ったものです。


甥っ子も挑戦


ついた草もちには、あんこを入れました。

でたきたての餅を炭火で焼いて食べました。おいしい!

できたてねお餅を炭火で焼いて食べました。



次は、お飾り用のるお餅です。ついてすぐにとり粉をまぶします。

次はお飾り用の餅です。できるとすぐににとり粉をまぶします。

小さく取って丸めます。一度表面を引っ張ってから丸めます。
丸めます。引っ張ってから丸めるのがコツです。昨年亡くなった祖母が上手でした。

甥っ子も参加しました。なかなか上手でした。でも、甥っ子がつっくたお飾りは、4段、五段というのもありました。普通は2段ですよね!
たくさんできてきました。


 


ついに完成!
今回は、のし餅3臼、草もち(あんこ)1臼、切り餅3餅、合計6臼つきました。
かわいいお飾りさんの出来上がり


準備をしてくれた、父、母ありがとうございました。
自分の子どもたちも連れてきたかったけれと゜、今年はちょっと…。
また、落ち着いたら、子どもたちを連れていきますね。


岡崎の家に帰って、さっそくお飾りを並べました。

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豊田市社会科自主研サークルに参加しました。
今回は、豊田市市木町の堂外戸遺跡の発掘調査です。
この遺跡は、縄文から古墳時代までの複合遺跡で、今年3月には、愛知県内最大の大型竪穴住居が発見されました。


現場集合
ここで、担当の森さんからお話がありました。
 ・豊田市にある遺跡は約500だった。市町村合併により約1,100と倍増した。
 ・「カイト」という地名のところは、昔立派な建物があった場所に多い。
 ・市営住宅の建て直しのために工事をして発見された。
 ・古墳時代のムラとして、大きな溝が見つかった。また、棟柱建物が見つかった日本で一番東の遺跡。
 
 現場集合

いよいよ、発掘開始です。
まず、道具が配布されました。 道具が配布されました


そして、現場へ。現在の表面を削って出てきた当時の地面を「地山(じやま)」と言うそうです。
地山は、人工的な部分と、自然に残っている部分の色が違うそうです。
今回、私たちが発掘する場所は、白い線が引いてありました。 
前の方に空いている穴は、柱の穴だそうです。
地山。すでに白線が。


いよいよ一斉に掘り始め。みんな真剣です。 一斉に掘り始め


白い線の内側を3センチくらいの深さで横に掘っていきます 白い線の内側を3センチくらいの深さに掘っていきます。


お隣では煮炊きのふたも、出てきました。 煮炊きのふたも、出てきました。


約1時間、こんなに出てきました。
私たちのところから出てきたものは、土師器の小さな破片ばかり。

次は、事務所の中に入って「洗い」を体験しまた。
古墳時代の土師器は、とても柔らかく、力を入れてこすると磨り減ってしまいます。
水につけてたたくようにうして土を落としました。
説明の後、洗いの作業

外側が黒い破片。火にかけたて表面だけが黒くなったものだそうです。(弥生時代)
外側が黒い破片。たぶん、火にかけた

私が「洗い」をしたものです。
わたしが洗ったもの


注記(ナンバーリング)の作業を体験した方もいました。
発掘された一片一片にポスターカラーで番号をつけます。
ナンバーリング


面相筆によるとても細かい作業でした。
細かい作業です。

その後、堂外戸遺跡の発掘品をいくつも見せていただきました。
これは、復元された弥生式土器。
ココデ

之も弥生時代の土器です。
縄文時代のような文様が入っています。
「いなかくさい弥生式土器です。」と言われました。
この地域は、縄文の様式がなかなかぬけなかったそうです。さすが三河地方、昔からそうなのか、と感心してしまいました。(米作りを受け入れなくても、豊かな生活ができたから、と言われましたが。)
縄文の雰囲気を残した弥生土器


土器の歴史をたどると、
縄文式土器、弥生式土器、そして古墳時代に土師器(はじき:野焼きによる)から須恵器(すえき:登り窯による)へと発展していったそうです。
土師器は、庶民が利用していたそうです。下の写真そのままの形で発見された土師器だそうです。
丸ごと出土した土師器

土師器の中です。これだけのものを作るのにどれだけの技術が必要なのか、と思いました。
土師器の中


この遺跡で発見された勾玉(まがたま)です。大変小さいです。
古墳時代でも4,5世紀、勾玉は、大王の装飾品でしたが、6世紀には庶民にも広まり、祭のとき榊に飾りとして使われたそうです。緑色でとてもキレイでした。
6世紀の勾玉

縄文時代の石器・石ぞく。石を割って作った槍の先です。ナイフのようでした。
石ぞく



森さんが発掘にまつわるお話をしてくださいました。

・人が住まなくなると、2,3年で表面に土がたまる。穴のようなところは特に埋まっていく。

・調査は、発掘に2年かかったら、整理に2年かかる。そしてやっと報告書が完成する。

・この地域は、縄文の伝統が強い地域。

・つぼは貯蔵用。かめは煮炊きに使う。かめの底が丸いのは、すわりは不安定だが、火の伝
導、熱効率はこの方がよい。

・この地域の遺跡から骨は出てこない。酸性が強いため残らない。

・一度発掘したらもう元にはもと゜らない。発掘も一つの破壊である。20年30年後に発掘すればわかることが多いかもしれない。



今回、参加させていただいて、科学の最先端は、とても泥臭いものであることを知りました。
私たちが得る情報の背景にはこうした、地道で気の遠くなるような膨大な取り組みがあることを改めて知りました。

日本国中でこうした取り組みの成果を共有し合い、古代日本の全体像を明らかにしていく。
ロマンを感じます。
今回お話をいただいた森さんに、ゆとりを感じるのは、対象しているものの大きさでしょうか。



私たちがおじゃました後、また担当の方たちがその続きを発掘にあたってみえました。
私たちが発掘させていただいた後

すばらしい体験をすることができました。
担当してくださった先生方、ありがとうございました。

クリスマスに家内がケーキを作りました。

今回は、イチゴがサンタクロース風です。
18クリスマスケーキ 1

18クリスマスケーキ 2

スポンジがやわらかで、生クリームもさっぱりしていました。
18クリスマスケーキ 3

18クリスマスケーキ 4

18クリスマスケーキ 5


受験生にもクリスマスがやってきました。
今日の高校駅伝大会に参加した愛知・豊川工業高校に、息子の中学時代の友達がいました。
豊川工業高校は、優勝候補に一つです。
◆豊川工初Vへ 心一つ 全国高校駅伝(asahi.com)
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000000612220001


午後からの息子や家内とともにテレビで応援しました。

息子もその友達も中学時代駅伝をやっいました。
豊川工業高校と夏休みから合同合宿もありました。
息子は、Bチームでしたが、Aチームは西三河大会、県大会と上位の成績を収めました。

今日、その友達は、2区を走りました。豊川工業は昨年3位。今年の優勝への期待がかかります。

”花の1区”10キロは、アフリカからの留学生を擁する4校が4位まで独占しました。
豊川工業は12位でした。

そして、いよいよ2区へ。
家内はテレビを見ながら「○○君、大きくなったね。」
などといいながら応援しています。
3キロの短いコースでしたが、
12位から7位に記録を上げました。

「すごい!」3人で言い合いました。

厳しい練習で鍛え上げた心と体、
大会の駆け引きもつかんでいることでしょう。
成果を出すということがどれたけ大変なことか。

豊川工業は今年も3位でした。
途中、順位を大幅に落とす場面もありましたが、
また、逆転しました。

◆男子は世羅が32年ぶりV 女子は3年ぶり須磨学園 (東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006122401000135.html
※残念ながら、細かな記事はまだのようです。

今日は、息子もがんばろう、という気持ちになったようです。

センター入試まであとわずか。



娘は12月19日生まれです。


家内が、誕生日ケーキを作りました。
我が家では、3人の子どもの誕生日とクリスマスに家内がケーキを作ります。毎年4つずつつくり続けています。

息子2人は、2日違いで、2月22日と24日生まれです。

ケーキは、12月の19日と24日、
2月の22日と24日の分です。

「近いから、(ケーキは)一緒にしたら。」
と私が言っても、必ず、別の日に違うケーキを作ってきました。


◆17才の誕生日
http://hnk333.blog53.fc2.com/blog-entry-7.html


まずは生地づくり。
  18-12-16 ケーキ・生地づくり


しばらくして、キッチンをのぞくと、生クリームづくり。さっきと同じに見えますね。
  18-12 ケーキづくり 生クリームづくり


生地を焼いて、生クリームでデコレーションをします。中はチョコバナナ入り。
  18-12 ケーキ作り クリームをぬって


さらに、いちごをのせて完成!
15本のろうそくは立たないので8本。
  ヌユ


このあと全員で集合写真をパチリ。
8等分に切って、子どもたちは、2切れずつです。つまり、4分の1!

今回のケーキは、生地もうまく焼けていました。
ケーキにはいちごとアイスクリームがのっていました。
中には生リームとチョコバナナが。

ごちそうさまでした。

ところで、12月19日が誕生日というのは、
反町隆さんと同じとか。本人は友達に言われたそうですが、「興味なし!」とか。
そして、絢旬(あやか)と一日違い。こちらもあまり関係なしと言う感じかな。(お父さんは、結構気に入っているんだがね。)

そう、あなたは、あなた、だね。
いずれも、一見うだつがあがらい下級武士が主人公。
顔が長い、おべっかを使うといった、一見マイナスのイメージを持つそれぞれの主人公が活躍する痛快時代小説。
前半のボケと後半の活躍がいいテンポで進む。
どちらも、剣の達人だからこそ、後半部分で活躍する。

実力があれば、表面的な風評など、とるにたらないということか。
昨日、インターネットイクスプローラーを6から7にバージョンアップしました。
みなさんは、何をお使いですか。

マイクロソフトのサイトから、簡単にダウンロードできました。

「タブブラウジング」といって、複数のWebページを一つのウインドウ内に表示せて、タグをクリックするの機能はとても便利でした。

また、全画面表示にしておいて、倍率を簡単に変える機能や、印刷の時、ページがはみ出さないなど、便利になりました。

ただ、アイコンがすごく減ったので、まだ使い方が十分わかっていません。
これからぼちぼちです。
映画の「たそがり清兵衛」のwebページを見てびっくり。

映画は、私の記憶以上に小説とは違っていたのですね。

◆たそがれ清兵衛 映画公式サイト
http://www.shochiku.co.jp/seibei/

◆たそがれ清兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%8C%E3%82%8C%E6%B8%85%E5%85%B5%E8%A1%9B

映画では、労咳で妻は亡くなっていました。宮澤りえさんは、幼友だちだったわけですね。

ますます山田洋次先生の「たそがれ清兵衛」ですね。


たそがれ清兵衛


映画とはかなり印象が違いました。
小説は冒頭から3分の1は、藩の窮状と堀専監の横政、それに対抗する杉山家老たちの様子が描かれています。
 映画を見たのは、2,3年前で、記憶は定かではないのですが、こうした政治色は余り感じませんでした。映画は美しい山野の景色に始まり、真田扮する清兵衛が城から誰よりも早く退出し、「たそがれ清兵衛」と侮られるシーンから始まった気がします。
 映画にするときは、小説が力を入れて書いた部分でも、省略することもあるんだ、と改めて思いました。

いわば小説は、専横を続ける堀に対して杉山ら家老が上意討ちを行うという政治劇をベースとして、剣の腕はめっぽう強いが、仕事よりも家内を大切に思いやる清兵衛の存在を際立たせる構造になっています。堀を詮議する場に遅れてくる清兵衛を杉山は、「一藩の危機と女房の世話とどちらが大事と思っているのか」と罵ります。

 また、最後の小屋に立てこもった浪人と清兵衛との死闘は小説にない、映画だけのシーンのようです。
 映画は、原作を用いながら、こうした原作が大切にしているところを描かず、新たな"見所"を作るんだと思いました。山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」ですね。
 
 今、木村拓也主演の「武士の一分」が話題になっていますね。
あの劇の中で、木村拓也さんが頭につける鉢巻は、木村拓也さんが考えた演出だそうです。
それそれの方が自分の演じ方、工夫で作品を広げ、作っていくんだ、と改めて思いました。
眼を患ってちょうど1年になる。
3ヶ月に一度の名古屋の眼科へ出かけた。
朝6:30に家を出て、バス、電車、地下鉄を乗り継いで病院についたのがちょうど8時。

眼底写真を撮影させていただいた。
眼底写真1812


下の写真は4月11日のものです。下の左側の写真は出血したところが黒い塊になって見えます。これに比べれば、今回の写真がどんなに良好かわかっていただけると思います。下の右側は正常な右目です。
血が引くのを待ちながら、何度がレーザーを当てました。
細胞を殺して、新生血管が生まれないようにしてきました。
目の写真1


診察の結果、半年に一度の通院でよいとのことだった。
ありがたい。後は、残ったもう一つの眼を大切にすること。
血液の流れをよくすること、健康な生活を心がけることなどをを医者に言われる。
その通りだと思う。

昨年から、
祖父母を見送り、眼を病んだ。
突っ走るだけが人生じゃない、
なんて思ったり…。
仏教に心惹かれたり、
重松清や藤澤周平の小説が心に残ったり。

渋みのある人間になっていくのかな。

病院を出ると12時を過ぎていました。
病院は久屋大通・地下鉄駅「矢場町」のすぐ近くにあります。

久屋大通り公園には巨大なモニュメントが。
何度が病院に足を運んだが今まで気づかなかった。
ちょっとだけ心に余裕ができたかな。
久屋大通り公園モニュメント2


次回の通院は半年後の6月5日。
来年度の個人的な予定の第一号だった。

<おまけ>
矢場町・病院の近くに元中日ドラゴンズ・郭源治さんの台湾料理のお店がありました。
「白南担仔麺」(たいなんたーみん)
郭源治のお店

ランチはお奨め。チャーハンと杏仁豆腐はお替り自由。お店はゆったりとした作りでくつろげる。今日は温かいウーロン茶が美味しかった。お店には、郭源治そっくりの女性が。そうきっと、お姉さんか妹さんだろう。
今日のランチはバンバン麺。




映画「ALWAYS 三丁目の夕焼け」
を遅ればせながら、テレビとビデオで見ました。

昭和30年代。私たちが生まれるちょっと前だ。

今と行動の仕方がちよっと違う。
「貧しさ」とか「ちょっとくらいの不幸」は、誰もが持っていた。
そして、「貧しさ」や「不幸」を受け入れて、
でもそれに負けないで生きていた。

・青森の口減らし-東京への集団就職-下町の自動車工場で働き始めた女の子(堀北真希)
・売れない作家のよくいく居酒屋の女将(小雪)は、元踊り子で、病気の父親のために借金をして、踊り子になる…。

今よりも厳しい時代だ。
今、経済成長を遂げ、貧困か減った。
経済的に豊かになった。しかし、心は、比例して豊かになっていない。
貧しさの中で協力や思いやりが生まれた。

貧しさが減り、社会的な不幸が減ったはずなのに、
自由と、選択肢が増えたはずなのに、人々は幸せを感じていない。
経済的な豊かさを得たかわりに、失われたものがある。

だから、貧しい方がいいというのでなく、
私たちは、自由な社会の中で、幸せに生きる行動をしていかなければらない。

なんか、ちょっと理屈っぽくなってしまったな…。

中3の娘は夜8時30分~9時50分まで塾に。
私が行けるときは、車で送り迎え。

最近、車のBGMは絢香の「三日月」。
夜、車の中で聞くと結構いいんだな、これが。
あのパワーあふれる高い声が暗闇に広がっていくようで
まわりの景色もキレイに見えてくるから不思議。

でも、助手席の娘は、あんまり関心なさそう。
小学校入学間近に母がガンで亡くなり、「私」が小5の時、父親は再婚し、ハルさんがやってきた。しかし、ハルさんとの溝は広がるばかり。「私」は、40才で作家デビューを果たし、母親との思い出をエッセーにつづる事になるが…。

父親の再婚と亡き実母へ想いに揺れる少年の心理がよく描かれている。
「私」の気持ちを変えたのは、妻の一言だった。

一つのことにこだわって、相手に悲しい思いをさせることは子どもじみている、大人気ない行動と言われることが多い。
本人にもそのことはわかっているが許せない。
そんな頑(かたく)なさを破ったのは、その人が一番大事にしているものをとらえた上での一言。
「わたしが死んだお母さんだったら、…。」

やっぱり、男は、女性、特に妻の掌の中で動いてるな。
          卒業・重松清
あるものを「卒業」しなければ、前に進めない状況ってあると思います。心の整理をする、けじめをつける。 「卒業」は「捨て去ること」でも「逃げてしまうこと」でもない、懐かしむことができるものとして、けじめをつけること。 この小説は、すべてがこのタイトルのためのラストに向かって収束している。 お腹の大きな奥さんを残して、26歳で自殺してしまった友達・伊藤。14年後、中学生になった伊藤の娘・亜弥が私(渡辺)の前に現れる。亜弥は、自殺した父親のことを知りたがっていた。 重松さんの作品は、40代の男性が主人公の場合が多い。つまり私自身に重なる。この「卒業」の主人公・私(渡辺)はリストラに合う。しかも同期が上司とっなって。人生の転機、40代。 若くはない。甘い、辛いを経験しつつ、確かに生きている。
「武士道」を読んで以来、新渡戸稲造が気になっています。
『歴史街道』(2009.9 PHP)に特集がありました。

この中で、佐藤全弘氏は、この中で農学者、教育者など数々の顔を持つ新渡戸の業績に対し、教育者としての仕事の大きさを語ってる。

戦前の日本の教育は国家主導の縦型道徳で国民を縛って失敗した。新渡戸が強調するは、市民としての横の道徳である。

人間の人格は国家を超える。世界人類共通の正直、親切、同情などを身に付けることが形式ばった愛国心をとくよりも大切である。

こうした人格の平等と尊貴を知らせることこそ、教育の目的であり、ひいては、平和の基礎である。

そして、新渡戸のいくつかの、エピソードが紹介されていた。
その中にこんなものもあった。
授業のおもむき入室の際に必ず、祈りを捧げた。新渡戸にとって教育は無限の可能を秘めたものであった。

新渡戸を前5000円札の人物として選んだ人はすごい、と思う。
そして、5000円札から新渡戸の肖像はなくなったが、
その志は学ぶべきものがある。



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