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一日一日の記録として。

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仏教の教えにこういうものがあるそうです。


お釈迦様の教えとは、「もし、山の途中でリフトが何かの拍子にロープが切れて、自分が谷底に落ちるめぐり合わせにあったなら、黙って谷底に落ちなさい。無事に頂上へつけるのも、谷底へ落ちるのもお前の業(ごう)なのだから」というものだそうです。
仏・如来は何一つしてくださらぬ。無功徳(むくどく)の救済。
(仏教入門-中日新聞・9/17亀井)


この言葉が、ずっと印象に残っています。
願いをかなえてくれるという「神様、仏様」の世界とは随分違いますね。
「悟り」の境地とはこういうことでしょうか。

新聞には、仏教をこれから学ぼうとする人に対して、
①口先だけの学問知識教養仏教をするな。全身で体を張って仏道と向き合え。(信者たるな、行者たれ。)
②仏・如来は何も求めない。仏教を習うのにお供えもお金も修行も。見返りを求める行為は何もいらない。
③決して出家するな。(行者になっても業者になるな)
と説いていました。

私にとっては、①も要注意です。
勤務先の郷土の偉人・鈴木正三(江戸時代)、仏像への憧れ、祖父母の葬式など、仏教に触れる機会があります。

『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の意味をお坊さんにお聞きしたことがあります。
書店でみつけた新井満さんの『自由訳・般若心経』を買ってしまいました。

しかし、凡人の私には、奥深く、できないことばかりのようです。

今日は、雨の中息子の新人戦2日目でした。
後半戦から出ました。
チームは快勝。来週につながりました。
新人戦180930

また、今日は地元のお祭りでした。
やはり「家内安全」などと祈ってしまいます。
仏(神)にたよるな。自分の力で家内安全を守れ、ということでしょうか。

日々の生活の中で、喜んだり、悲しんだり、願いごとを持って生きています。その中で一生懸命生きることを仏は説いてみえるはずです。その上で、業は業として認めよという意味でしょうか。

意味深い言葉です。

来週は、祖父母のお骨納めに両親、親戚とともに、永平寺に行きます。
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コメント
この記事へのコメント
>悲しい出来事でもその時は気づけなくてもいつもあなたは幸せの中にいるのですよ。
なるほど。深いですね。いろんな悲しい出来事を想定します。しあわせ、と言えるかどうか。「純情きらり」の桜子は、結核で死んでゆくとき、そう言っていきましたね。
2006/10/07(土) 22:09 | URL | カワセン #-[ 編集]
幸せの中にいる。
カワセンさん、今晩は。

>受け入れることから次の一歩がはじまる。そのときの様子も仏様はご覧になっているということですね。

 私がそして御住職が言おうとしていることをカワセンさんが言ってくださり嬉しいです。
 そしてもうひとつ、ご住職は言われます。「悲しい出来事でもその時は気づけなくてもいつもあなたは幸せの中にいるのですよ。」と・・・。
 
 その言葉を聴いて私は涙ぐみました。気づけない愚かな自分を感じ、同時に義父・義母の死ももって気づくことのできた自分を恨めしく思ったのです。
2006/10/07(土) 20:29 | URL | NON #Vsh8HcPQ[ 編集]
★sinyuumamaさん、こんにちは
奥深い話ですね。
因果を説いている気もしますし。
いろんな解釈ができそうですね。
仏様の慈悲というのは、表面的な優しさとは違うもののようですね。

最近読んでいた本に仏教が武士道に与えた影響なんて話もでてきました。
2006/10/07(土) 14:34 | URL | カワセン #-[ 編集]
★NONさん、こんにちは
>仏様はお願いしなくても、いつも見ていてくださり救って下さっているといつも住職は言います。
そうなんでしょうね。
身勝手な人間の頼みや、都合のいいときだけでなく、いつも見ていらっしゃると。

自分に不可避なものを受け入れること、その時の心の状態を仏様はきっと説いてみえるのですね。

受け入れることから次の一歩がはじまる。そのときの様子も仏様はご覧になっているということですね。
2006/10/07(土) 13:54 | URL | カワセン #-[ 編集]
★くるみさん、こんにちは
決意表明、なるほど。
魚釣りに野球。いいですね。
休日試合があると親が見に行くことが、当たり前になりました。
お茶当番で行っていたのが、いつしか、当番がなくても。応援団ですね。
2006/10/07(土) 13:43 | URL | カワセン #-[ 編集]
仏の教え
私には、もっともっと難しく感じます。
私が新聞で見た、仏の教えで頭から離れないのは、こういうものでした。
「サルが牛をいじめています。牛はずっと我慢していました。他の日に、サルはまた牛を見つけたのでいじめました。すると、今度は牛が怒りサルを殺してしまいました。最初の牛と違う牛だったのです。」
さて、ここで、最初の牛がサルにちゃんと注意をしてやれば、サルは死なずにすんだものをと、考えますか?仏の教えは、最初の牛はまったく関係なく、サルはここで殺される運命?仕方ないということでした。
すみません。うるおぼえです。
でも、殺したほうの牛にはつみはないのでしょうか?という疑問は残りつつ・・・
そして、最後に、「親は、子どもに取り返しのつかないことを起こさないために、いけないことは注意して教えてやらなければならず、それが親の責任だ。」ということでした。。ここもうる覚え(>_<)
仏様はサルが悪いことをして殺されても仕方がないと考えるのだなーと。。。なんだか慈悲?というのかな?そういう深さってないのでしょうか?と、少し疑問になりました。

谷底に落とされたくないなー。まじめにまじめに生きてますよ。^^;でも後ろめたいこともいっぱい(>_<)

子どもたちに牛とサルの話をしたら、「サルが一番悪い」といいました。でも、殺されちゃっていいのでしょうか?なんだか、その辺が納得できず、困りました。
2006/10/03(火) 23:33 | URL | sinyuumama #-[ 編集]
仏教。
カワセンさん、今晩は。

 私の檀家寺のご住職は(東本願寺大谷派)説教のとき、いつも言います。仏はいつも、どんなときでも私を救ってくださると・・・。
(私自身、それほど信じている訳ではありませんが・・・。)
それでも、仏様に向かってお願いはしないようにしています。
 仏様はお願いしなくても、いつも見ていてくださり救って下さっているといつも住職は言います。
 だから、私は仏様に対してお願いをするのではなく、自分が今からすることを精一杯するということを知らせるようにしています。自分が今することを告げることによって、自分のこれからしょうとする事をしっかりできるように仏様に誓うのです。
 なんかよく分からないことを書きましたね。私の言いたいことが少しでも分かってもらえたらと思いますが、きっと説明の仕方が悪くうまく伝わりませんね。
 ごめんなさい。
2006/10/02(月) 20:50 | URL | NON #Vsh8HcPQ[ 編集]
どこかの本に書いてあったのですが、神仏に手を合わせるのは、願うためではなく、決意表明をするため、と読んだ事があります。

でも、私、そんなに強くなれないです><;・・・でも、日々自分の気持ち次第で愉しくも辛くもなるなあと思います。

息子さん、がんばっていらしゃるのですね。うちは野球です。一生懸命な姿にじ~んと来てしまいます。
2006/10/01(日) 22:37 | URL | くるみ #-[ 編集]
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